・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2014/01/25

後藤新平と台湾 近代日本への「遺産」を考える

2014年1月24日(金)16:30〜18:00
第83回アジアセミナー
後藤新平と台湾 近代日本への「遺産」を考える
春山 明哲 氏 (早稲田大学台湾研究所 客員上級研究員)
早稲田大学にて

日比谷図書館の森田様より、ご案内いただきました講演会に出席しました。

1 後藤新平の生涯と事蹟
2 後藤の「台湾経験」
3 台湾旧慣調査と岡松参太郎
4 新渡戸稲造、矢内原忠雄と植民地政策学
5 帝都復興とはなにか 都市計画と自治の精神


2014/01/17

明治の和魂洋才

2014年1月5日(日)〜3月16日(日)
近代日本を支えた江戸・明治の教養 第2部
和魂洋才
明治時代の日本人が希求した、新しい日本のための書物
日比谷図書文化館 特別研究室 

展示関連講座
「内田嘉吉文庫に学ぶ 明治の和魂洋才」
2014年1月16日(木)19:00〜21:00
日比谷図書文化館地下1階 日比谷コンベンションホール

「和魂」とはなにか。
これには、さまざまな解釈があるようだ。
新渡戸稲造博士は、『武士道』という著作によって、その説明を試みたといえると思う。

伝記『新渡戸稲造ものがたり』では、「和魂洋才」について、次のように
記しています。

〈 日本の文化や伝統をよく知り、しかもそれを英語で世界に発信することができた
 稲造、内村(鑑三)、岡倉(天心)は、並外れた国際人、英語の達人として
 取り上げられることがよくあります。
  この三人には、興味深い共通点があります。歳がほとんど同じで、『論語』を
 教材にした江戸時代の教育を受け、十歳にある前に明治維新を経験し、
 新しい西洋の学問を外国人教師から直接教わったということです。つまり、
 伝統的な日本文化と価値観の中で育ち、その上に近代的な西洋の学問を英語で
 学んだ、まるで「接ぎ木」のような人間形成が、彼らを真の国際人に育てたのです。
 まさに「和魂洋才」です。現在ではもはやありえない、この時代だけの独特な
 ものでした。激動の時代に、それを支えたのが、彼らの高い志と強い使命感
 だったのです。〉
 『新渡戸稲造ものがたり』第七章 世界的な名著『武士道』 p.112〜113

〈 和魂洋才=日本古来の精神を大切にしながら、西洋の技術を取り入れて
 発展すること 〉
 『新渡戸稲造ものがたり』p.112下段の注より

江戸時代末期、幕末から明治維新への大きな変革とその後の発展を振り返る時、
活躍した多くの人材が、どういう環境で育ち、教育を受けたのか、
家庭での教育、藩制、国学、陽明学、論語、儒教、神道、徂徠学・・・、
大変興味深く、学ぶべきことが多いと感じています。

内田嘉吉と新渡戸稲造については、こちら
内田嘉吉文庫については、こちら




2014/01/16

メイド・イン・ジャパン 南部鉄器

2014年1月11日(土)〜3月23日(日)
メイド・イン・ジャパン 南部鉄器 伝統から現代まで、400年の歴史
パナソニック汐留ミュージアム
主催 パナソニック汐留ミュージアム/朝日新聞社
協力 南部鉄器協同組合/企画協力 アートプラニングレイ/後援 港区教育委員会

新渡戸博士の関連で、何度か岩手に行く機会に恵まれ、
地域の伝統工芸にも興味をもち、
汐留でおこなわれている「南部鉄器」の展覧会に行きました。

◆展示説明より抜粋
「南部鉄器の背景としての盛岡のあゆみ」
1817年、南部藩は盛岡藩に改称
1830年以降は、天保の飢饉が引き金となり一揆が多発し、藩政は弱体化した。
幕末に奥羽越列藩同盟に参加し倒幕派と戦ったことから、
明治政府では当初盛岡藩出身者の活動の場は限定されたが、
やがて、内閣総理大臣の原敬、教育者の新渡戸稲造など逸材があらわれ、
日本の近代化に貢献した。

◆第一部 南部鉄器の歴史 伝承される美
江戸時代から現代までの精密な鉄瓶などが展示されています。
例:
6 日新堂南部形鉄瓶 六代小泉仁左衛門 仁栄 1864年 盛岡市先人記念館蔵
  (「日新堂」は、幕末、盛岡藩最初の洋学校、1862年)

15  第一回国勢調査記念品鉄瓶 作者不詳 1920年 岩手県立博物館蔵
  (1921年、第一回の国勢調査実施)

20  亀甲形鉄瓶 小泉仁左衛門 昭和時代 南部鉄器協同組合蔵
  (1934年、仙台の国立工芸指導所に勤めていたブルーノ・タウトが
   小泉工房を訪れて絶賛した鉄瓶と同様のもの。タウトの日記に記している)

23  編笠形鉄瓶 金澤専治 鶴齋 昭和時代 南部鉄器協同組合蔵
  (リエージュの万博で金賞受賞した作者による鉄瓶)

◆第二部 南部鉄器の模索・挑戦といま
◆第三部 南部鉄器による空間演出

(以上、展覧会解説より抜粋)

現在では、フランスのティーサロンで、南部鉄器のカラフルなティーポットが
使われるなど、400年の歴史をもつ南部鉄器の真価が見直されているようです。

パナソニック汐留ミュージアムのサイトは、こちら




2014/01/14

「アジア太平洋共同体の可能性」入江昭先生のご講演

2013年度 国際交流基金賞を受賞されました、
入江昭先生(ハーバード大学名誉教授)の記念講演会が、
2013年10月28日、国際文化会館(東京・六本木)で開催され、
聴講させていただきました。

演題「アジア太平洋共同体の可能性」

このたび、NHKラジオ第2で、その講演が公開されました。
(再放送は、2014年1月18日午前6時〜)

講演の中で、入江先生は、「国家中心ではなく、人と人とのつながりを
重視すること」の重要さを強調されていました。
また、「国家単位の歴史ではみえないものがある」として、近年、
新しい歴史の見方があること、また、ご自身も『新世界史』(全6巻)の
刊行に関わっていらっしゃることも明らかにされました。

入江先生は、戦前にも、欧米中心ではない対話関係の構築が、アジア太平洋地域で
開戦直前までおこなわれていたことにも触れました。
これは、新渡戸稲造博士が日本代表を務めていた、太平洋問題調査会の活動を
指しています。

「徹底的にハイブリッド化(雑種化)することはいことだと思う」と
おっしゃっていたのが印象的でした。
(ハイブリッド=hybrid、元々の意味は、2つ以上の異質のものが組み合わさって
 一つを成すこと)
つまり、雑種文化としてみると、アジア太平洋地域は進んでいて、いち早く、
めぐりあいによって雑種化し、知的なつながりがありました。

「歴史の事実は一つ」なのだから、たとえば、中国と日本が同じ教科書を
使うことで、一般の人たちが、歴史を共有するという機運が高まれば、と
結んでいらっしゃいました。

入江先生の受賞および記念講演会については、こちら(国際交流基金のサイト)。

入江昭先生について、ご著書『歴史を学ぶということ』(講談社現代新書 2005年)から
ご紹介します。
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入江昭先生は、1934年、東京の護国寺近くでお生まれになり、10歳で終戦。
成蹊高校をご卒業後、グルー基金によって、
アメリカの私立大学の名門ハヴァフォード大学に留学されました。
優秀な成績でご卒業、ハーヴァード大学の大学院に奨学生として入学。
以後、歴史学者としての道を歩みます。
1960年、前田光子様とご結婚。
(お父様は、新渡戸博士の教え子 前田多門氏のご長男、前田陽一氏。
 祖父 前田多門、父 前田陽一、叔母 神谷美恵子、各氏については、こちら。)

入江先生は、その後、シカゴ大学(約20年間)などで教鞭をとられました。
ご専門は、米国外交史、国際外交史。
ーーーーーーーーーーーーー
この本には、歴史学者としての国際的なご経験やお考えが書かれており、
大変勉強になりました。
ちなみに、新渡戸稲造博士の養子の孝夫氏も同大学に留学しています。
ハヴァフォード大学については、こちら。(2013年夏に訪問)

夫人の入江光子様は、永井荷風の作品を英訳されています。

入江様ご夫妻とご親交のある高木規矩郎氏が、今回の受賞についてなど、
ご自身のブログに書いていらっしゃいます。
(高木様と私は、鎌倉ペンクラブでご一緒させていただいています)

ブログ「鎌倉の世界登録遺産を考える」の「入江昭先生のこと」は、こちら