・・・ 2011年5月31日〜6月2日十和田・盛岡、2011年7月10日〜13日札幌、2011年8月2日〜6日ジュネーブ(スイス)、2011年9月5日〜6日軽井沢、2011年11月10日〜12日札幌、2012年1月14日〜15日盛岡・新花巻、2013年4月20日下田、2013年7月アメリカ(ボストン、ボルティモア、フィラデルフィア、ニューヨーク)、カナダ(バンクーバー、ビクトリア)、2015年3月台湾、2015年7-8月チューリッヒ(スイス)/ロンドン(英国)、2015年10月花巻・盛岡、そのほか鎌倉・東京・京都・下田・沼津・松山など ・・・

2015/06/27

大島正満博士 没後50年 記念講演会

2015年6月26日(金)15:00〜17:00
海老名市交流館(厚木駅下車)

1 開会の辞

2 演題「動物学者としての大島正満と札幌農学校」
  大島 智夫 氏 (大島正満 八男/横浜市立大学名誉教授)

3 演題「大島正満の想い出」
  大島 久子 氏 (大島正満 五男の妻/音楽教育者)

4 演題「大島正満=台湾における動物学研究の先駆者」
  郭金泉(かくきんせん)氏 (台湾国立海洋大学 教授)

5 ピアノ演奏 大島 妙子 氏(大島正泰・久子 長女)

6 閉会の辞

(司会 大島富士子 氏)


大島正満博士は、大島正健博士(札幌農学校第一期生)のご長男。
台湾での功績を顕彰したいと、郭金泉教授が、ある日、台湾から
大島正満博士のご家族を探して訪ねて来られ、今回の記念講演会が
実現したと伺いました。

大島正満博士の生涯について、大島智夫氏のご講演、
博士の晩年15年間を一緒に暮らされた大島久子様からは
日常生活のエピソード、
郭教授からは、大島博士の学術的な研究や経歴についての
ご紹介がありました。

大島正満没後50年 記念冊子
「キリスト信徒としての動物学者 大島正満の生涯」
 大島 智夫 著
 発行:2015年6月26日(非売品)
 

新渡戸稲造博士は、終生、大島正健博士と親しくされ、
晩年には、札幌で共に洗礼を受けたハリス神父の墓参りに
でかけています。(1928年6月2日 東京の青山墓地)

その際の写真2枚は、『新渡戸稲造ものがたり』p.190に
掲載。


参考
『随筆 不定芽』大島正満 著 昭和九年 刀江書院
p.13〜21「新渡戸博士の書」


2015/06/21

台友会セミナー

2015年6月20日(土)

台湾留学経験者の親睦団体「台友会」を主宰されていらっしゃる
長谷部茂様のご案内により、定例交流会(セミナー)に
参加させていただきました。

拓殖大学(文京キャンパス) A 館 3階 第3会議室にて
(新しいA館の中に保存されている、レトロな趣きの教室)






開会あいさつ 長谷部 茂 氏

講演1
郷土教育から見る台湾人アイデンティティの形成
林初梅 先生
(大阪大学大学院言語文化研究科・外国語学部准教授)

講演2
台湾に新渡戸稲造の足跡を訪ねて
ー ドキュメンタリー制作のための取材旅行を終えて ー
工藤 哲人 氏
(岩手めんこいテレビ 番組プロデューサー)



「台湾で将軍になり軍神になった零戦パイロット」
梶本 光義 氏
(公益財団法人 呉海軍基地顕彰保存会 代表理事)

論文「明治・大正期における拓殖大学
   草創期の台湾語教育について」
長谷部 茂 氏

長谷部様をはじめ、関係者のみなさま、ありがとうございました。
大変興味深い、そして、楽しいセミナーでした。




2015/06/11

第3回新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会記念フォーラム

第3回新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会記念フォーラム
「作文・論文コンクール授賞式および記念講演
がおこなわれます。
会長の秋山孝二様よりご案内をくださいましたので、
紹介させていただきます。

2015年6月27日(土)
開場 13時
授賞式/講演 13時30分〜16時
会場 わくわくホリデーホール(札幌市民ホール)
   第1、第2会議室

作文・論文コンクール授賞式・講評
審査委員長 三島徳三 氏(北大名誉教授、名寄市立大学副学長)

記念講演「新渡戸稲造 世界に示した紳士道」
藤井 茂 氏 新渡戸基金事務局長、新渡戸稲造研究家、著述家

主催:一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会
ホームページは、こちら


『坂西志保さん』

2015年6月 国際文化会館

坂西志保さんについて、国際文化会館(東京都港区六本木)
の関係から興味を抱いて調べていたところ、
坂西志保さんご自身がお書きになった「私の遺言」
(追悼集『坂西志保さん』に掲載)の中で、
新渡戸博士とのエピソードがありました。
以下、引用して紹介します。

 ・・・そこで提案されたのは、短期間の海外留学ということ
 であった。相談を受けた新渡戸稲造先生は、それもよい
 だろうといわれたということであったが、私はそのことを
 全然知らなかった。本人は平然としているが家族のものは
 何時までもほったらかしにしておくにもいかず、先生のところへ
 駆けつけたのは窮余の一策ということだったのであろう。
  豪放らい落な先生は、一度小石川の自宅に呼んでくださった
 ことがある。学校から頼まれてお説教することになっていた
 のだそうであるが、そんな気配は少しも見せず、北海道の風物や
 初期の開拓民の心構えを、アメリカのそれらと比較し、興味深く
 語られた。同席された夫人は「新渡戸は、私よりもアメリカびいき
 なんですよ」とつけ加えられた。
  私はお説教を聞かされずに釈放された。これはまだアメリカが
 第一次欧州大戦に参加しない前のことで、先生は、ウィルソンの
 新しい民主主義の解釈とアメリカの国際的使命についての考え方に
 大きな期待をかけていられるようであった。しかし、大戦も終わり、
 ウィルソンも失意の人として世を去り、一九二〇年代の初頭に、
 アメリカが日本人排斥の方向に歩み出した時、先生はアメリカを
 許さなかったのである。
 (『坂西志保さん』p.51〜「私の遺言」鈍行列車の旅 p.63-64)


この時期、新渡戸博士は東京女子大学の初代学長。
文面からすると、おそらく家族かまわりの人間が、坂西さんの処遇に
ついて新渡戸学長に相談したことがうかがえます。
坂西さんのその後のアメリカ滞在とその功績、帰国してからの活動を
考えると、渡米前のこの時期に新渡戸博士と面会していることは
非常に興味深いことだと思います。

新渡戸学長はこの後まもなく後藤新平伯と外遊し、国際連盟事務次長に
就任することになります。

坂西さんは結局、「大学在籍(東京女子大学)四年を一年半で打ち切り、
資格をとるため、文部省の中等教員検定試験を受けてこれもパス」した後、
関東学院で英語を教え、一九二一年、アメリカに留学。学業終了後も
アメリカに残り、米国議会図書館などで要職を歴任されました。
そして、一九四二年、日米開戦により、帰国。
滞米は、二十余年に及びました。
帰国後も、翻訳/執筆のほか、ご実績と人脈から多くの仕事をされ、
一九七六(昭和51)年、大磯のご自宅で亡くなりました。79歳。

この「私の遺言」は、雑誌「暮らしの手帖」に1世紀97号(一九六八年秋)
から2世紀5号(一九七〇年春)まで掲載されたもの。
ご自身による伝記のように書かれていますが、途中、くも膜下出血で中断、
回復後に再開することなくご逝去されたそうです。

『坂西志保さん』
昭和五十二年十一月一日
『坂西志保さん』編集世話人会 代表 松本重治
発行 国際文化会館



2015/06/09

新渡戸博士が一高の生徒たちに教えた詩

新渡戸博士と親交のあった渋沢栄一氏の四男 渋沢秀雄氏が
旧制第一高等学校の生徒だった時、校長が新渡戸博士でした。
渋沢秀雄氏は、ご著書の中で次のような思い出を書いています。

(以下、渋沢氏の著書より引用 ↓ )


私は物静かな先生がよくロングフェローの詩を
愛誦された聲を今でも思い出す。

"Some day must be dark and dreary."

同時に何といふこともなく
「眞理が忍び足で世に現れた」
といふ中世紀の時代相が脳に浮かんでくる。

渋沢秀雄『通学日記』東宝書店 昭和16年
「新渡戸校長」p.19-20 より

(引用おわり)

作者のヘンリー・ロングフェロー(1807〜1882)は、
アメリカで広く愛された、著名な詩人でした。
裕福な家庭の娘を妻にし、多くの子どもにも恵まれましたが、
不慮の事故で最愛の妻を失うなど、その人生には
深い悲しみもありました。

多くの詩作品を残していますが、新渡戸校長がよく生徒たちに
愛誦されたという、この詩の全文は以下の通りです。
今年も梅雨の季節を迎えたので、新渡戸博士が愛した詩
「The Rainy Day」を紹介します。

The Rainy Day

The day is cold, and dark, and dreary;
It rains, and the wind is never weary;
The vine still clings to the mouldering wall,
But at every gust the dead leaves fall,
And the day is dark and dreary.

My life is cold, and dark, and dreary;
It rains, and the wind is never weary;
My thoughts still cling to the mouldering Past,
But the hopes of youth fall thick in the blast,
And the days are dark and dreary.

Be still, sad heart! and cease repining;
Behind the clouds is the sun still shining;
Thy fate is the common fate of all,
Into each life some rain must fall,
Some days must be dark and dreary.

Henry Wadsworth Longfellow
http://www.hwlongfellow.org


"Some day must be dark and dreary."

「(人生には)暗く、荒涼を感じる日があるもの」

人生には、喜びも悲しみもあるということを、
時には、深い悲しみを経験することがあることを
「雲の裏側では、それでも太陽が光り輝いていることを」
新渡戸校長は生徒たちに伝え、
励まそうとされたのかもしれません。